現代アートのルーツを探せ
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    ネオテニー・ジャパン 高橋コレクション

    日本の現代アートをコレクションしている方がいます。名前は高橋龍太郎。職業は精神科医です。彼がコレクションしている現代アートの所蔵作品は2011年2月の時点で2000点にも及んでいます。所蔵しているコレクションの数々を【ネオトニー・ジャパン 高橋コレクション】として2008年から2010年にかけて全国7か所の美術館を巡回していきました。この総入場指数は12万人を記録しています。

    【ネオテニー】という言葉は【Neoteny】と書き、幼形成熟の意味です。それは動物において、性的に完全に成熟している個体でありながらも非生殖器官が未成熟つまり幼体や幼生(ようせい)の性質が残る現象のことをいいます。そのネオテニーをキーワードにして所蔵作品の中から33人の作家からの作品を選び約80点の作品での展覧会となりました。

    日本全国7か所を巡りましたが、高橋龍太郎という個人によるテイストで集められた現代美術作品の数々が全国の公立美術館で巡回展が開催されたということは日本でも初めての出来事でした。【ネオトニー・ジャパン 高橋コレクション】が巡った美術館は、霧島アートの森、札幌芸術の森、上野の森美術館、新潟県立近代美術館、秋田県立近代美術館、米子市美術館、愛媛県美術館と巡回していきました。そしてこの【ネオトニー・ジャパン 高橋コレクション】は1990年代以降の現代美術を代表する作品の数々ということもあり、多くの人がこのコレクションを訪れました。

    出品された作家の名前(50音順)会田誠、青山悟、秋山さやか、池田学、池田光弘、伊藤存、小川信治、小沢剛、小谷元彦、加藤泉、加藤美佳、工藤麻紀子、鴻池朋子、小林孝亘、佐伯洋江、さわひらき、須田悦弘、高嶺格、束芋、千葉正也、照屋勇賢、天明屋尚、できやよい、奈良美智、名和晃平、西尾康之、町田久美、Mr.、三宅信太郎、村上隆、村瀬恭子、村山留里子、山口晃の33人の作家による作品となっています。

    そして第二弾として【高橋コレクション展 マインドフルネス!】も2013年7月から開催され、霧島アートの森と札幌芸術の森美術館で開催されました。この第二弾は「ひらかれたコレクション展」をテーマとして開催されましたが高橋氏の「東日本大震災以降の日本の人達に、日本の作家たちのエネルギーを込めた作品による、スケールの大きな展覧会を見て元気になってもらいたい」という思いが込められて開催されました。そして【マインドフルネス】という意味に込められているのは「あるがままにアートを受け入れる」「今、ここにあることの気づき」を促す言葉として高橋氏によって提案されたタイトルでもあります。この展覧会で出品された作家には、若手の作家たちから日本の現代美術を牽引してきた作家などから幅広く出品されました。

    出品された作家の名前(50音順)会田誠、荒木経惟、安藤正子、大岩オスカール幸男、大野智史、落合多武、Ob、樫木知子、川島秀明、草間彌生、熊澤未来子、小出ナオキ、鴻池朋子、小西紀行、小林正人、近藤亜樹、坂本夏子、佐藤充、塩田千春、塩保朋子、菅木志雄、鈴木ヒラク、辰野登恵子、Chim↑Pom、名知聡子、奈良美智、橋爪彩、畠山直哉、平野薫、福井篤、藤田桃子、舟越桂、松井えり菜、宮島達男、村上隆、森村泰昌、森山大道、ヤノベケンジ、横尾忠則、李禹煥、加藤泉(札幌展覧会のみ)

    高橋龍太郎氏は1946年(昭和21年)に山形で生まれています。慶応大学医学部へ入学しましたが時代は全共闘運動真っ最中の時代でした。そして全共闘運動を経て1969年に退学しています。1977年に東邦大学医学部を卒業して1980年慶応大学精神神経科へ入局しています。国際協力事業団(JICA)の医療専門家としてペルーへ派遣されています。専攻は社会精神医学を専攻。1990年東京の鎌田でタカハシクリニックを開業、デイ・ケアや訪問看護を中心とした地域に密着した精神医療へ取り組んでいますが最近はテレビのコメンテーターとしても活躍しています。

    高橋龍太郎氏は精神科医の他にも、現代アートのコレクターとしてもとても有名な存在ですがアートの収集を始めたのは1997年で20歳の後半からコレクションを始めています。収集している作品の数々は、1990年代以降の現代アートが中心として集められてきました。そして個人として現代アートを収集するだけではなく、支援もしています。展覧会のスポンサーとして、企業名が並ぶなかで唯一の個人名として協賛や支援企業名などと並び名前が掲げられています。

    一番最初に購入したのは、合田佐和子(ごうださわこ)の作品が初めてと語っていますが、シュールレアリスム系の作品に意識が働いていたこともあり、高校生の時から展覧会へ足を運んでいたそうです。合田佐和子の作品購入に結び付いたのも、シュールレアリスム系からの延長での購入に結び付いたと話をしています。

    コレクションの数々の中には、日本を代表するアーティストの草間彌生、横尾忠則、森山大道、荒木経惟、村上隆、舟越桂、森村泰昌、会田誠、宮島達男、奈良美智、内藤礼とほぼ網羅されています。1997年に草間彌生と会田誠の作品を手に入れてから、「癒やし系の表現ではなく、現代のとんがった作品を患者さんと共有したい」という思いがあり、一気に現代作品を収集することに全力投球されていきました。これからも一目ぼれした会田誠と山口晃の作品に関しては、執念をもって収集していくとも話をしています。

    高橋氏が精神科医で美術品のコレクターとして有名ということはご紹介しましたが、ゴッホと精神科医ガシェとの親しい交友関係もとても有名です。ガシェ医師は、水曜日から土曜日まではパリの彼の病院で診察して、土曜日の夕方から火曜日までは自宅のあるオヴェールに戻ってゴッホを診察していたといいます。そしてガジェ医師はゴッホだけではなくルノワール、セザンヌ、ピサロなども1870年にはオヴェールに移り住んでガシェ宅へ集ったといいます。ゴッホの作品にもオルセー美術館に展示されている「庭のガシェ嬢」といった作品があり、オヴェールでの生活を心から楽しみゴッホがオヴェールで生活した70日間がゴッホが手がけた作品の中で一番多いと言われています。

    シュールレアリスムとは

    シューレアリスムとは和製英語で、元々はフランス語でSurréalismeと書きシュルレアリスムと読みます。日本語では超現実主義と訳されています。このシュルレアリスムは芸術の形態で主張の1つでもあります。

    日本でのシュルレアリスムの画家には、古賀春江、福沢一郎、北脇昇、靉光(あいみつ)などがいます。写真家では、山本悍右(やまもとかんすけ)がいます。

    詩人では、西脇順三郎、瀧口修造、北園克衛、友部正人、友川かずきなどがいて、作家では安部公房が優れた作品を残しています。

    漫画界では、つげ義春によって「ねじ式」という漫画作品で発表されたことで、漫画界だけではなく多くの知識人や芸術家などに、大変大きな反響と多大な影響を与えました。そして全共闘世代の圧倒的支持を得ることになりました。

    シュルレアリスムの始まりと終わり

    1924年(大正13年)にシュルレアリスム宣言が発せられて、芸術運動としてシュルレアリスムは始まりましたが宣言される前にもシュルレアリスム的な作品は存在しています。シュルレアリスムの終わりにはいろいろな説があります。例えば、1945年に第二次世界大戦が終了した年とする説や、シュルレアリスム運動のリーダーでもあり「帝王」として存在していたアンドレ・ブルトンが他界した1966年を終わりとする説もあります。

    第二次世界大戦以降もシュルレアリスムは続いていた。という説の中には、大きく分けると、第二次世界大戦以前の運動に参加した人が戦後の活動だけをシュルレアリスムと認める説と、戦後に活動を開始した者も含める説の2つに分かれています。後者の説については、いわゆる幻想絵画(幻想芸術のジャンル)との境界線にもつくので、さらに説はいろいろになります。

    シュルレアリスムの思想

    思想的にはジークムント・フロイトの精神分析の強い影響下にあります。視覚的にはジョルジョ・デ・キリコの形而上絵画作品の影響下にあります。それは個人の意識よりも、無意識や集団の意識、夢、偶然などを重視しています。このことは、シュルレアリスムで取られるオートマティスム(自動筆記)やデペイズマン、コラージュなど偶然性を利用して主観を排除した技法や手法と、深い関係にあるから。と考えられることが多いです。

    シュルレアリスムを先導したのは?

    シュルレアリスムを先導していったのは詩人です。シュルレアリスムの「帝王」としてリーダーのアンドレ・ブルトンはもちろんですが、ルイ・アラゴン、フィリップ・スーポー、ロベール・デスノス、ポール・エリュアール、ベンジャマン・ペレ、アントナン・アルトー、ルネ・シャール、ルネ・マグリット、ジャック・プレヴェール、レイモン・クノーなどシュルレアリスムは一度はかじるものという時代の雰囲気だったともいえるでしょう。

    日本で有名なシュルレアリスムの詩人は瀧口修造がいます。瀧口修造は美術では池田龍雄、音楽では武満徹と親交をもっていましたが、まだまだ日本のシュルレアリスムが語られる機会は少ないといえます。

    ダダ(ダダイズム)とシュルレアリスムの関係ですが、ダダに参加していた多くの作家がシュルレアリスムに移っているという事実からもうかがえるように、既成の秩序や常識等に対する反抗心という点は、ダダとシュルレアリスムは思想的に通じていると言えるでしょう。

    シュルレアリスム宣言を発表して、雑誌「シュルレアリスム革命」を帝王でもあるアンドレ・ブルトンがはっぴょyしていますが、その雑誌でピカソ、マン・ルイ、エルンスト、デ・キリオの作品を掲載しています。そして1925年に開催された「シュルレアリスム絵画展」で運動の中核を担っているマックス・エルンスト、マン・ルイの他にもミロやアルプなどが参加しています。芸術の中心ともいわれるパリで始まったシュルレアリスムですが、この動きはベルギーのルネ・マルグリットそしてスペインのサンバドール・ダリへと広がっていきました。

    そしてサンバドール・ダリはルイス・ブニュエルのシュルレアリスムの代表的映画で、2人が実際に見た夢をモチーフにした『アンダルシアの犬』にも参加しています。そしてパブロ・ピカソもやがてシュルレアリスムに傾倒していくことになりました。

    シュルレアリスム絵画の画風

    1 自動筆記やデペイズマン、コラージュなどを使います。自意識が介在できない状況下で、頭に浮かんだ言葉やイメージを修正しないで直接書き取るとオートマティスム(自動筆記)絵画を描くことで、無意識の世界を表現して人間の精神を解放しようとしています。彼らの絵画は具象的な形態がなく、さまざまな記号的イメージにあふれて、抽象画に近づいていきます。マックス・エルンストは印刷物のイメージを合成してコラージュしたり、模様を浮き上がらえるフロッタージュなどの手法を駆使していきました。ジョアン・ミロにアンドレ・マッソンなども、このオートマティスムの手法で作品を残しています。

    2 不条理な世界や物や事柄などありえない組み合わせなどを写実的に描いた画家たちもいます。夢や無意識の中でしか起こりえない奇妙な世界が描かれていますが、その絵の中に出てくる人物や風景はあくまで具象的です。この画風を代表する画家はサルバドール・ダリにルネ・マグリットです。

    そして、マックス・エンストたちの実験的なこのオートマティスムの数々の手法は美術関係者に大きな影響を与えることになり、それからの父の抽象表現主義へと受け継がれていきました。

    ダリやマグリットの描かれた作風は奇妙な世界を写実的に描かれていますが、その作品をみると強い混乱を起こしますが一方で親しみやすい画風ということもあり、一躍人気作家へと駆け上っていきました。そして特にダリはアメリカで大人気になりその人気ぶりからシュルレアリスム関係者から「$の亡者」と避難されるほどの大人気作家になりました。

    今でも「シュール」という言葉が使われますがこの「シュール」という言葉は、1990年代の終わりごろから使われてきていますが、「シュール」の語源はシュルレアリスムが語源になっています。

    ありえない組み合わせや不条理な世界などを描く手法のシュルレアリスムの画風は、今ではシュルレアリスムを代表するものとして、今でも有名で、今でも広告美術やイラストレーターなどで多く模倣されています。

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